お知らせ
酒瀬川果樹園のタンカンが
美味しい理由
80歳を超えて生涯現役宣言中!
二代目・広之を家族みんなで支えています。
三代目 | 酒瀬川耕作 |
酒瀬川浩子 |
鳥の声が響くタンカン畑
世界自然遺産条約の屋久島の南側に位置する小島地区。東シナ海に面し、モッチョム岳を眼前に臨む段々畑で三代にわたり、タンカンを育んできました。
初代・酒瀬川伝次郎の時代から残る石垣畑は収穫時期になると、鳥たちが「チュッチュッチュッ」とさえずる楽園です。
草刈りと害虫対策、剪定、摘果を80歳代の二代目の父・広之がコツコツと頑張り、母のテルエをはじめ家族みんなで支えています。
剪定などは、今でも寸分の狂いなく早く的確です。表には見えない、でも美味しいタンカンづくりに欠かせない、驚くような技。鳥の声のように愛らしい美味しさを目指したいと励んでいます。
モッチョム岳は人生の鏡
標高940m、花崗岩でできた急こう配の山の麓に私たちのタンカン畑はあります。頂上から見るとすぐ近くに海原が見えるとか。それくらいタンカン畑から海はすぐそこ。
モッチョム岳を仰ぐと、「なんて小さなことに悩んでいたんだろう」と気付かされます。あの山は日が当たったり陰ったり、人生の鏡のようです。見飽きることのない表情の豊かさに励まされ、私たちの心の支えとなっています。
段々畑はご先祖様たちの頃から、造られてきました。畑から出てくる石を一つ一つ積み上げて、こう配のある斜面を畑にしていったのです。畑の土の下は花崗岩になっているため、今でも土の中からたくさんの石が出てきます。二代目の父・広之はそれらを手作業で掘り出すのが日課。飄々とこなす姿に私たちも「この土だからこそ美味しいタンカンをつくれるのだ」と勇気づけられます。晴れた日はモッチョム岳と海が望め、タンカン畑に囲まれた大岩の上で昼ごはんをいただくのが楽しみです。
大きく根を張って、健康な樹に育ってほしいと
日々石の除去にも励んでいます。
屋久島の土質
段々畑の石垣は初代・伝次郎が積んだものです。土の中から出てくる火山石を一つ一つ積み上げるという根気の要る作業。もともと火山だった屋久島は土を 30 ㎝ほど掘ると花崗岩が現れます。その岩盤が大きな石となって土の中に紛れ込む。とがった石は大きく、重いのです。今も二代目の父・広之が毎日取り除く作業をしています 。
足を踏み入れるとフワッとして、靴がすっぽり沈む土。こんな積み重ねの成果でさらさらな土になります。大きく根を張って、健康な樹に育ってほしいと日々石の除去に励んでいます。タンカンの収穫は2月から3月ですが、美味しいタンカンづくりは一年を通して作業は続きます。
土づくりが基本。草などを堆肥に
緑肥と呼んで、大事に土に還しています。毎日のように刈り取る草は、畑で自然に肥料にします。剪定した枝や家庭の生ごみ等も肥料に還元し、牛糞堆肥も使います。屋久島タンカンは、2007年にかごしまブランド農林水産物に認定されました。水はけがよくて寒暖の差がある屋久島の風土にぴったり。そして小島地区は屋久島の中でも南の方に位置します。あたたかな陽の光が降り注ぎ、モッチョム岳の麓にあたる勾配のある地形、そして眼前の東シナ海の照り返し。タンカンが美味しくなる天然の地理的条件が揃っているのです。
祖父・伝次郎の植えた長寿樹は守り神
すでに樹齢80年近い祖父の植えたタンカンの樹。丁寧に手入れをして、今でも現役でたくさんの実を着けてくれます。根っこを大切にしたいから除草剤は撒きません。夏場も人力で草刈りをし、特に樹の周りは丁寧に、母のテルエが手で草抜きしていきます。腐朽している部分をみつけたら、すぐに手当てをして労わります。カミキリムシなどによる枯れを防ぐために、夏は夜が明けたらカミキリムシ退治に畑回りです。そんなきめ細やかな世話をすることで、80年もの間、健やかに美味なる実をつけてくれるのだと感謝しています。
全国一の生産量を誇る屋久島タンカンの歴史
鹿児島県のタンカン生産量は全国一。だんとつで生産量が多いのは、気候や土壌が適しているからでしょう。タンカンの原産地は中国の広東省で港などを有する温暖な地域。屋久島に伝わったのは1890年代、昭和に入ってから本格的な栽培が始まりました。甘みと果汁をたっぷり湛えたタンカンは、瞬く間の人気ものになり、栽培面積も増えてゆきました。
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